報道されない見慣れた街の被害
1.1の能登地震から数日後に内灘の液状化被害が甚大であることをネットで知り、変わり果てた街をリアルに見て、いてもたってもいられなくなった。今まで私はボランティアに参加したことはなかったし、正直したいと思ったこともなかったが、衝動的に「被害に遭われた方の力になりたい」という気持ちになった。しかし、内灘町の社会福祉協議会としては被災状況やニーズの把握に時間がかかったようでなかなか募集がかからず、ボランティアの募集サイトが開いたときには勢いで7日間連続の応募をした。単発じゃダメだと、謎のやる気に満ち溢れた。人はいざ自分ごとにならないと動かないし人の為には動けないということがよく分かった。
気持ちとカラダ
2.1のボランティア参加初日、最初はめちゃくちゃ緊張したのを覚えている。初ボランティア、何をするのかもわからない、みんな初めて会う人たち(東京、名古屋、三重、長野、沖縄からも)。だけど、乗り合いのハイエースで凸凹ガタガタ全てが斜めになった現状を見ながら被災現場に着くとそんな緊張は吹き飛んだ。やるしかない。初日の作業内容は崩れたブロック塀の撤去と搬出作業。午後から2時間ほどひたすら重量級のブロックを搬出した。こういう作業は慣れている。東京にいたとき、日雇い派遣で解体現場のがれき処分をよくやっていた。その頃の若かりし気持ちもよみがえって自分としても良かった。その後作業内容は日を追うにつれ、あふれ出た砂の除去や壊れた家具の搬出へとニーズが変わっていった印象。ちなみに私は2日目の盛り上がったコンクリートの撤去時に腰を少し痛めてしまった。社協のボランティアのベテランさんが無理は絶対しないでと言ってたのがよく分かった。反省した。ボランティア参加者は、まず気持ちを抑えないといけない。作業していくとついついアドレナリンが出て「せっかく」とか「どうせなら」とか自分主体になってしまう。大切なのは被災された方の気持ちに寄り添うこと、を忘れないことだろう。だから、ボランティアに参加したから良いとか悪いとかではないんだということがよく分かった。寄り添う気持ちさえあれば募金でも何でも被災地の応援の仕方はいくらでもある。
お互いさまの気持ちとお互いの気持ち
7日間寒い日が続いたが被災されたどの家の方も、ずっと外で作業を見守ったり手伝われていた。
「ボランティアって、頼む方もいろんな気を使うよなあ。」
「ボランティアに参加している方からしたら、何でもやります!どんどん困ってること申し付けてください!まだできます!って気持ちになるなあ。」
「社協の方は被災者への告知とニーズの把握をしながら、作業内容や人数調整を日々変わっていく状況の中マッチングするってただただ大変だなあ。」
などなど、参加して初めてわかる現場の感想を持った。みんなが自分のことだけ考えてわがまま言ってたららちが明かない。お互いさまの気持ちを持って集まった人たちが、お互いの気持ちを理解尊重しながら、無理せず続けていくことがボランティアに限らず今大事。
最後に
今回ボランティアに参加されていた方々は素晴らしい方ばかりで、皆得意分野があり優しい心をお持ちのプロフェッショナルでした。ご自身やご家族が石川県出身で関東在住の方、自転車の内灘町に思い入れがある方、大学で活躍されてる学生さんなどなど、遠方から有給を取ってまで参加されていたり本当に頭がさがります。世の中捨てたもんじゃない。この7日間体は疲れましましたが、優しい気持ちに囲まれて過ごした時間となり貴重な経験になりました。
そして改めて、被災地の方にはお見舞い申し上げます。そこら中が傾いてしまった現地に立つと、先が見通せずため息しか出ない状況ですが、どうぞ今を体をいたわって過ごしてください。内灘町社協の方々におかれましては、どの地域よりも早くボランティアの受け入れ態勢を整えられ、日々の業務に加えての運営感謝いたします。どうぞ無理をなさらずに。
本来は、国や県が早急に安心できるだけの補助と動員とメッセージを被災された方々に提供すべきだというのが私の考えです。
内灘町の災害ボランティアは、今後も募集があれば続けていきたいと思います。何年か前に偶然見えた河北潟越しの白山連峰と立山連峰の綺麗さが忘れられません。落ち着いた心でそれが見られる日まで。
張り替え業は2/8(木)から再開します。たいへんお待たせしました。